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観に行ってきました。良かったです。

時間がゆーっくり流れる感じがいいですね。 地球上ではどこも同じ速さで時間が過ぎているはずなのに、暮らしている環境とその人の置かれている状況で、どうしてこんなにも過ぎる速さが違うのでしょう?

良い人しか登場しないのも、安らげる理由の一つかな~。

スリルもドキドキもないけれど、ときにはこんなほっとする映画もいいんじゃないでしょうか?

出演者は、小林聡美・加瀬亮・伽奈・もたいまさこ・タイ人の男の子、ほぼこの五人だけ。ロケ地はタイだけど、ほとんどがプールのあるゲストハウスで、市場や空港、道路がちょっと出てくるだけ。制作費は安くついたかな?

監督は違うけれど、小林聡美にもたいまさことくれば、もちろん、あの「かもめ食堂」の雰囲気です。フードスタイリストも同じ。二匹目ならぬ、三匹目のどじょう??

でも、良ければそれも良しかな。

四年前、祖母と自分を日本に置いてタイに行ってしまった母京子(小林)を訪ねてやってきた大学卒業間近の娘さよ(伽奈)は、どうして、そばにいて欲しかったのに、自分たちを残して行ってしまったのか、母に問う。

「そうしたかったから、そうしただけよ」と答える母。無責任で自分勝手なことばなのに、そんな感じはしない。愛は十分ある、娘を信じている、そのゆるぎない自信がさらりとそのことばを言わせるのか? 自然体で生きる、やさしい人たちに囲まれて数日を過ごし、少しずつ心を開き、母を理解し始めるさよ。

それぞれの登場人物が、どうしてどんな事情があって、そこで暮らしているのか、語られもせず、はっきりわからないまま物語は終わる。な~んとなく、いい感じに。

「白夜行」 東野圭吾

東野圭吾というのは不思議な作家です。普通、ある作家の本を一冊読めば、他の作品も面白いかどうか、自分の好みに合っているかどうかわかるものですが、彼の作品は年を追うごとに変化しているので、一概には言えないのですね、これが。

 

昔、十数年前、たまたま彼の本を読んだことがあります。彼のデビュー作となった作品です。何かの賞を取ったらしいのですが、正直それほど面白いとは思いませんでした。そしてそのまま記憶の底に埋没していたのですが、ここ数年彼の本を本屋などで目にすることが多くなり、思い出しました。昨年などは一大ブレークを起こし、今や彼の本が平積みになっていない本屋など皆無だろうという勢いです。昨年2008年の単行本・文芸部門の年間ベストセラー10冊の中で、彼の作品がなんとベスト3を独占している(トーハン調べ)のですから、その人気のほどがうかがえます。作品の映像化の成功が大きいようですが、作品自体が面白くなければこんなには売れないでしょう。東野圭吾ってそんなに面白かったっけ?と思って図書館へ行って本を借りてみることにしました。

 

デビューして20年以上経つ作家だし、それほど寡作の作家でもないので、作品はそれほど少なくないはずです。しかしこの東野ブームのおかげで彼の本はすっかり引っ張りだこ。噂のガリレオシリーズなど予約もなしに借りられるはずもありません。そこで棚に残っていた初期の頃の、デビューから数年後の作品を一冊借りてきて読んでみました。

 

これがひどかった。一昔前に乱発されていた、2時間ミステリー用の使い捨て脚本レベルの作品でしたね。こんな作家になぜ誰もかれも夢中になるのか、さっぱりわけがわかりませんでした。もう2度と読むことはないだろうと思ったのですが、だが待てよ、と思いなおしました。これほど人気が出てきたのはここ数年のことではないか?もしかしたら最近の作品は面白いのかもしれない。そう思って、その本を返しに行った時に、たまたま2000年代の本が一冊戻ってきていたので、もう一度だけ借りて読んでみました。するとこれが面白かったのですよ、意外にも。

 

その後さらにもう一冊2000年代の本を借りたのですが、これもなかなかよくできていました。そこで今度はいつ頃から作風が変わったのか知るために、1990年代半ばの作品を借りてみることにしました。借りてみるとやはり、進化の途上にあることが感じられるような作品でした。今の彼の作品と比べると、プロットや心理描写などかなり詰めが甘いのですが、面白いか面白くないかと言えば、面白い方と言える方へ入ってきているのです。つまらないトリックや謎解きにこだわることをやめ、ドラマの面白さの方へ軸足を移しているのが伝わってきます。これほどわかりやすく作風が変わっていく作家というのも珍しいのではないでしょうか。

 

そして彼が作家として名声を確立させた作品がおそらくこれ、90年代末に書かれた「白夜行」でしょう。すっかり前置きが長くなってしまいましたね。

 

子供時代に人間らしい心を破壊されてしまった男女が主人公です。踏みにじられてしまった彼らの心はもう元には戻りません。しかしそこで悲しみにおぼれるよりも、良心や思いやりを捨て、自分たちだけのために生きていく道を彼らは選びました。そして他の人間を自分たちがされたのと同じように、あるいはそれ以上に踏みにじって生きていきます。自分たちは全てを奪い取られたのだから、他の人だってそうなって当然と言わんばかりに。彼らはお互い以外の人間を決して信用せず、自分たちを守るためには、他の人間を陥れることを躊躇しません。まるで世の中すべてを敵に回して戦っているかのようです。男は女のためにあらゆる犯罪に手を染め、女はその手助けをします。これはそんな彼らの19年の軌跡を描いた物語です。彼らを19年に渡って追い続けた老刑事が彼らをたとえて言います。

 

「テッポウエビはね、穴を掘ってその中で生活するらしいです。ところがその穴に居候しとるやつがおる。魚のハゼです。そのかわりにハゼはふだん穴の入口で見張りをしとって、外敵が近付いたら尾ひれを動かして中のテッポウエビに知らせるそうです。見事なコンビネーションや。相利共生というらしいですな」

 

でも成長するにつれ、彼らの立場の違いは鮮明になってきます。殺人や強姦など、凶悪犯罪を次々と実行していくのは常に男の方であり、女はその補助的な役割しかはたさない。しかし犯罪の結果得られた利益を一身に集め、仮面の人生の階段を上がっていくのは女のほうなのです。女が闇の底から出ていくためのあらゆる障害を取り払い、階段を上っていく女を仰ぎ見る男には、次第に精神的疲労が蓄積されていきます。ちなみにここで「君は光~、僕は影~」というフレーズを聞いてピンとくる人は、年がわかります。最後には結局男は破滅するのですが、女はそれを一顧だにすることなく、さらに妖しい徒花を開いていくのです。

 

女は男を愛していたのか。それとも利用していただけなのか。おそらく初めは愛していたのでしょう。でもその後は… それは誰にもわかりません。それはこの作品のスタイルがそうなっているからです。この作品では主人公達の視点ではなく、彼らの周りにいる人間たちの視点で話が進んでいきます。主人公達の内面は一切表には出てこず、ただこれらの人々との会話を通してのみ彼らの言葉を聞くことができるのです。ですからこの作品では主人公同士が一緒にいて話をしている場面は全くありません。読者はただ物語の状況からその心情を推し量るしかないのです。それゆえこの作品は、映像化が不可能だと言われていました。

 

それが映像化されていたのですね。昨年テレビドラマ化されていました。私は観ていなかったのですが、本を読んだ後に動画サイトなどでところどころつまみ観してみました。わかったのは小説とドラマは全く違う作品だということです。ドラマ化にあたって原作と設定が違うのはよくあることですが、ここまでくるともう、別作品だとしかいいようがありません。初期設定は同じであるものの、主人公たちの性格が全く違う。同じような事件をたどっていくパラレルワールドと言えばいいでしょうか。作品の良しあしについては賛否両論あるようですが、ここではコメントはやめておきましょう。ただ個人的には武田鉄也の下手くそな大阪弁が耳障りでした。どうして関西出身の俳優を使わなかったのでしょう。

 

ともあれ、東野圭吾というのは、進化する作家です。しかし翻って考えてみると、東野圭吾が変わったのではなく、世の中が変わったのであり、彼はその変化に柔軟に対応できるタイプの作家ということなのかもしれませんね。今現在の価値観では、彼の初期の作品はまったく面白くありませんが、20年前のサスペンスドラマ流行の頃は、あれでも十分面白いと思われていたのかもしれない。時が経ち読者がそれに飽き足らなくなってくると、作風を変えた新しい作品を投げ出して見せる。自分はどんな世の中になってもそれに合わせて作風を変えていける、そんな風に思っている作家なのかもしれませんね。また4~5年したら、どんな風に変わっているのか、読んでみたいと思います。

簡単に言えば、ロシアにある建物の図鑑です。数多くのカラー写真はもとより、平面図や断面図、昔のスケッチや地図まで載っていて、なかなか楽しめます。掲載される地域も広範囲に及び、モスクワとその周辺、ペテルブルグとその周辺、黄金の環、ヴォルガ川流域、ウラル、シベリア、極東とほぼロシア全土を網羅しています。実は世界遺産にも登録されているソロヴェツキーの建物について少し調べたくて買ったのですが、残念ながらそれは抜け落ちていました。しかしそれ以外は、観光客が行きそうなところはほぼ網羅されています。有名どころであと無いのは、ヴォログダ州にあるフェラポントフ修道院くらいでしょうか。

 

ロシア建築の歴史的流れを知ることもできます。オールドロシア、バロック、ロシア・クラシシズム、折衷、ネオ・ロシア、ロシア・モダン、構成主義、スターリン・アピール、ソヴィエト・スタイル、ポスト・ペレストロイカの建築といった時代区分の建築の特徴が、素人にも分かりやすく記されており、主な建築の年表も付されています。もちろんそれぞれの建築物にも、丹念にその歴史やエピソードが書かれています。

 

今度ロシアへ行ったら見てみたい、という建物がたくさん出てきました。それぞれの建物の名前や住所がロシア語でも併記されており、地図の地名も日露両語で書かれていますので、ロシア語が読める人には探しやすいでしょう。実際に自分の目で見た建物の多いのですが、その歴史を知ってからではまた違った目で見れそうな気がします。
 

「ロシアの木霊」 中村喜和

ロシア好きにも色々な人がいます。バレエが好きな人、ロシア文学が好きな人、チェブラーシカが好きな人(これはロシア好きとは関係ないかもしれませんが)… 平たく言えば、ロシアという国そのものが好きという人にはほとんど会ったことがありません。皆ロシアという国が生み出す「何か」に惹かれているのですね。私はちょっと違っていて、実はロシアの創造性にはそれほど関心が無いのです。かといってロシアの政治経済に関心があるわけでもありません。これというものは何も無いのです。ですが、強いて言えば「中村喜和さんが描くロシア」が好き、と言えるでしょうか。本屋さんで中村さんの本を見つけると、大概中を見なくても買うことを決めます。この本もその内の一冊です。
 
著者はロシアの歴史・民俗・宗教に驚くほど通暁していて、その造詣の深さには毎回感心するばかりです。時空を自在に行き来する著者のエッセイや論文に現れる「今ここではないロシア」が、私はとても好きです。本書の構成は「名所旧跡(世界遺産)」「キリスト教諸派、中世の文学と社会」「ロシアの人びと 日本の人びと」「日露交流」となっていますが、特に「ロシアの人びと 日本の人びと」が面白かったですね。私が司馬遼太郎を好きなせいかもしれませんが、「菜の花の沖」に出てくるリコルドや、「燃えよ剣」に出てくる榎本武揚のロシア公使時代など、物語に出てくる人たちのその後を知るのは楽しいものです。
 
また紀行文としても面白いと思います。ロシアはいうまでもなく、カナダやウクライナ、長崎など、ロシアにまつわるさまざまな場所が出てきます。自分が行ったことのある場所が出てくると、つい嬉しくなってしまいますね。
 
千年の時の流れの中でロシアを見てみたい人にはお奨めの一冊です。
現在この映画が上映されていることを知らない日本人はいないだろう、と思うほどの宣伝活動をしていた本作。その成果あって興行成績は好調のようです。主要キャストだけでなく、ゲスト出演にこれだけ豪華な配役ができるのは、今のところ三谷幸喜以外にいないでしょう。
 
マフィアのボスの愛人に手を出した若い子分が、命を助けてもらう代わりにボスの探している伝説の殺し屋を探そうとする。だが探し出せず、代わりに売れない俳優をだまして殺し屋に仕立て上げるという現実離れしたストーリー。舞台となる港町のセットも日本離れしています。完全にフィクションであるということを意識させるつくりで、映画よりむしろ舞台の方がその本領を発揮できたかもしれません。
 
佐藤浩市、西田敏行、戸田恵子は順当にうまかったですね。予想以上に良かったのが、寺島進。予想外にコミカルな演技にハマってたのが伊吹吾郎。若手俳優も健闘していたと思います。
 
ただ、ストーリー的には冗長で、豪華なゲストを見せびらかすためだけに作ったのではないかと思われるエピソードが多く、この内容ならもう少しコンパクトに作っても良かったのではないかと思いました。古い時代の映画へのオマージュが多く、またこれまで三谷作品に出演した人たちのカメオ出演も多く含まれているので、そういったものを見つけて喜ぶというマニアックな喜びを想定しているのだと思いますが・・・
 
もともと映画というものは日常とは違う空間に人をいざなうものなので、そういう意味では究極のパラレルワールドと言えるかもしれませんね。内容に関しては賛否が分かれると思いますが、エンターテイメントの追求に努力を惜しまない姿勢は認められると思います。
 

今から36年前、私が高校1年から2年に進級しようとする春休みのこと。クラブの合宿で情報から隔離された数日を過ごした後、帰宅して知ったニュースは、連合赤軍の仲間内での凄惨なリンチ殺人だった。初めて新聞を隅から隅まで読んだ。いや、新聞の隅から隅までがその記事だった。ショックだった。こんなに酷いことが…。

この映画のことを知っても、観に行きたくなかった。凄惨なリンチ殺人の場面が描かれていることは分かっていたから、怖かった。でも、観なくては、そんな思いで、観に行った。

なぜ?? この映画が、その問いに答えてくれるわけではなかった。でも、観る価値はあった。閉鎖された集団の中での狂気。できれば、理想の名の下に犯された誤りを描くだけでなく、彼らが、如何に理想の社会の実現に情熱を傾けていたか、そのことも描いて欲しかった。でなければ、この事件を知らない我が子の世代にこの映画を勧められない。これを観るだけなら、左翼は怖いと思うだけかも知れないから。

この事件については、世代によって、受け止め方は様々だと思う。

 ただ、言えることは、自分が今属している組織がおかしいと思った時、そこから逃げ出す勇気(決断)も、時には大事だということ。どんな時も、しっかりした判断基準を持つこと。どんな立派な理想のためでも、どんなにすばらしい社会の実現のためでも、「人は人を殺してはいけない」。それは、当たり前の真実であるはず。

 でも、そんな当たり前の真実が、見えなくなってしまう時があるのか…? 

 もう数年早く生まれていたら、私も、あの恐ろしい極限状況の数日を過ごし、仲間を殺め、自身も悲惨な殺され方をしたかも知れない。

 何が大切か、何をなすべきか、社会をしっかりと見据える、確かな目をもっていたい。

(それが簡単ではないから、みんな日々模索し、悩んでいるんだけど…) 
仕事柄ロシア語に関する本は沢山持っていますが、今日はその中から、「これは!」と私が思うものを紹介したいと思います。とは言うものの、私とて世にあるロシア語関連本全てを知っているわけではありません。現にうちには未読のものもまだまだ残っています。実はそれに全部目を通してからと思っていたのですが、そうするといつまでたっても書けないような気がしてきましたので、とりあえず今まで目を通したものの中からいくつかご紹介することにしました。ただし、辞書類は省きます。
 
中・上級者と言えば、一応一通りの文法知識はあると思いますが、そうは言っても、ロシア語の文法は完璧!という人は少ないでしょう。みなさんそれぞれ自分が文法事項を確認したいときに参照する本をお持ちかと思いますが、私の場合は「テーーブル式ロシヤ語便覧」(和久利誓一著、評論社)です。「ロシヤ」という表記を見ればわかるように、初版は1960年、かなり古くからある本です。ですがこれがなかなかすぐれものなのですね。基本的に一つの文法項目に対し2ページを使うというスタイルで、左ページに表形式でまとめられた文法の分類、右ページにその解説を載せるという形式になっています。教科書ではないので練習問題などに無駄なスペースを割いておらず、コンパクトで見やすいです。巻末の付録もことわざ成句、動詞の要求する格、不規則動詞変化などが一覧表で示されており、結構充実しています。
 
そして文法と言えば、一番厄介なものの一つが動詞の体ですね。ロシア語をやっている人は、日本語や英語と比べてみて、何故ここに完了体(不完了体)が来るのかわからない、と思ったことが一度や二度ならずあるでしょう。そんな時に役に立つのが「ロシア語の体の用法」(原求作著、水声社)と、それにリンクした「ロシア語の体の用法(練習問題編)(同)です。私は留学から帰ってからこの本を買ったのですが、留学中にこの本があれば、もっと楽に体の勉強ができたのに、と悔しい思いをしたものです。文法全体をカバーした本はたくさんありますが、そういった本では体の本質を深く掘り下げることはできません。その意味でこの本は秀逸だと思います。
 
次に語彙の点でお奨めなのが、「ロシア語ハンドブック」(藤沼貴著、東洋書店)です。二部構成になっていて、前半は表現・文法編、後半がテーマ別語彙項目編になっているのですが、この後半が面白いです。研究社の和露辞典をお持ちの方は、辞書のところどころに囲み項目があるのをご存知だと思いますが、実はこの本の著者は、その和露辞典を編纂した人なのです。その囲み項目を拡大・発展させたのがこの本だとお思いください。さまざまな事柄について系統的に語彙を増やしたい人には最適です。
 
さらに表現の点で超お奨めなのが、「携帯版ロシア語会話とっさのひとこと辞典」(宇多文雄他編、DHC)です。難しい表現は全くありませんが、目からウロコ!というような表現に私は何度も出会いました。日常会話などでこういうことを言いたいがロシア語で何と言えばいいのかわからない、ということは多々あると思いますが、ここにあるような表現をどんどん使えば、かなりナチュラルなロシア語になると思います。別売りのCDは7枚組で結構高いのですが、たまに電車に乗るときなどに聞いています。ちなみに車に乗っているときに聞くと、眠くなって危ないということに気がつきました…。その他「アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話」(さとう好明著、東洋書店)の巻末にある「使える言い回し」も、結構面白いです。長年ロシアとのビジネスに携わってきた著者の経験がよく生かされていると思います。
 
最後に形式についてですが、場面場面に合わせて通訳などをする場合には「ロシア語通訳コミュニケーション読本」(徳永晴美著、ナウカ)がいいですね。もっともこの本はかなり有名なので、詳しい論評は必要ないでしょう。とりあえず「合理的だ」と言っておきます。
 
さていかがでしたでしょうか。みなさんも、お奨めの本があれば是非教えてくださいね!
 

『ラフマニノフ――ある愛の調べ』 パーヴェル・ルンギン監督、200796

クロースアップ、クロースアップ、クロースアップと立て続けにラフマニノフの表情が画面に焼きつけられる。苦悩、焦燥。しかしそれのみではない。望郷の念が彼を包む。

 ラフマニノフにとっての故郷そのもの、草に覆われた池。その清涼とした美しさが胸をうつ。彼の心に宿っているロシア、彼の魂のあるところは、間違いなく、この場所だ。その思いの強さは、きらめきをたたえる水面が伝える。素朴でありながら美しいこの風景は、ラフマニノフの音楽にも見出せるのだろうか。

 たしかに、陳腐とも思えるあからさまな表現はある。しかし、それを上まわる監督や俳優たちのラフマニノフへの、切なると言っても過言ではない願いのようなものがこめられているように思う。それは、ラフマニノフを演じるツィガーノフの丁寧な演技、特に表情だけで伝えようとする、その懸命な態度に表れている。また、ラフマニノフは、アメリカに根を下ろすことはできなかったのかもしれない。それでも、ぜひとも少しは彼の心に希望の光がともっていたと願いたい、そう信じたいとの思いがラストシーンに見える。

 この作品はラフマニノフの伝記でもなければ、史実どおりでもないという断りが添えられている。さらに、«Ветка сирени»「ライラックの枝」というロシア語の題名が示すように、ラフマニノフと共に過ごした人々、とりわけ女性たちにもスポットを当てている。その部分をどう見るかで、この作品への評価は分かれるような気がする。

そういったことはあるにしても、深い愛情が注がれた作品であるというだけでも見るに充分の価値はあると思う。

『めがね』 荻上直子監督

 皆さま、お久しぶり!
tsukuyomi嬢一人に任せておかないで、たまには書き込みしなくっちゃね。

新作ではないのですが。
昨日うちで映画会をしました。参加者は激務でお疲れの人たちなので、何を観ようかなぁとTSUTAYAでうろうろしていたら、この「めがね」が目に留まりました。
『かもめ食堂』のスタッフが撮った映画。
これだ!と思いました。
『かもめ食堂』は本当にいい映画でしたね。生きてるって素敵だなぁと、心の底から幸せになれる映画でした。
で、「あの幸せ感をもう一度!」というわけで、昨日は『めがね』を選んだのでした。

何にも起らないお話なのです。
ほんとに。まったく。なんにも。
で、あまりにも淡々としているので、最初はもしや『かもめ食堂』の二匹目のどじょうを狙った失敗作かな…と思ったりしたのです。でも、観ているうちに、何もない島の、おいしい空気や、きれいな海の潮の香をいっぱいに吸い込んでいるような気分になってきたのです。
そして、心も身体もゆーったりとくつろいだ気分になれたのです。
一緒に観た人たちも、「疲れがとれたわ!」と喜んでおられました。

それにしても、荻上直子監督は1972年生まれだというから、「かもめ食堂」を34歳で、「めがね」を35歳で作ったことになりますが、なんともいい感性の女性だと思います。

まだご覧になっていない方、疲れたとき、悲観的な気分になったとき、荻上作品はいかがですか?
故黒澤監督はこの映画を観てどう思うのでしょう。あっけに取られるのか、それとも大笑いするのか。スターウォーズのヒントになった作品として有名な黒澤監督の「隠し砦の三悪人」を現代風にリメイクしたのが本作品。リメイク版でもそれを意識しているらしく、椎名桔平演じる悪役がダースベーダーにそっくりなど、遊び心があります。
 
私はオリジナル版は観ていませんが、リメイク版のほうでは、オリジナル版の3人の男が1人の姫を守って敵陣を突破するという、いわゆる貴種流離譚をテーマにしている点以外はほとんど全て新しく書き換えているようです。主役も姫を守る武士から庶民である山の民に変わり、現代っぽい展開のテンポのいい作品に仕上がっています。まぁ、発泡スチロールより軽そうな金塊とか、茶髪の姫君とか、「それでいいのか、それで~!」とツッコミたくなるような点満載ですが、脱力して観ることができるので、気分転換にはいいかもしれません。
 
それにしてもヒロインの長澤まさみ。姫君の役なのに、姫姿より野伏せりの少年の格好の方がまだしも様になっているというのはどうにかした方がいいのでは。どうにかと言っても今更どうしようもないですが・・・ あんなに可愛い顔をしているのに、あんなに姫様の姿が似合わないなんて。それに最近の若手を主役にした時代劇の悪役って、どうしてあんなに変態じみた役柄ばかりになってるんでしょう。悪役の凄みというものがありません。高嶋政弘宏や上川隆也にあんな役を振るなんて、無意味なキャスティングとしか思えません。なんとなく本人達もあんまりやる気なさそ~な演技ですしね。

大ヒットはしなさそうですが、レディースデイに観るB級娯楽映画としては、そこそこ楽しめます。